予備校講師の「幅」を広げる―。そう聞くと、多くの人は「知識量」を思い浮かべるかもしれません。
しかし、その「幅」は、専門知識の広さ、指導法の柔軟性、生徒との距離感、進路指導の深さ、場の空気をつくる力などさまざまです。どこに軸を置くかで講師の評価は変わりますし、時代とともに求められる幅の形も変わっていきます。
かつて学校の先生は、夏休みに「研修」という名目でまとまった学びの時間を確保できました。その時間で教材研究や新しい指導法を学んだり、他校の先生と交流したりできました。その全てが有意義だったとは限りませんが、「学ぶ余白」が制度的に用意されていたのです。
ところが2000年以降、状況が大きく変わります。長期休暇中も出勤日となったり、少子化などによる業務の増加、保護者対応の複雑化、事務作業の肥大化など、業務量が大きく増えました。
これにより、学校現場は慢性的な多忙状態に陥り、長期の研修どころか日々の業務をこなすだけで精一杯という声も少なくありません。
その結果、「幅」を広げる時間そのものが削られているのだとすれば、それは教員不足の一因とも無関係ではないはずです。
では、そうした環境の中で、講師が変わらず大切にすべきものは何でしょうか。私は、その出発点は「挨拶」だと考えています。実力をどこで測るかは人それぞれですが、第一印象が場の空気を決めるのは間違いありません。どれほど優れた知識を持っていても、教室に入った瞬間の空気づくりに失敗すれば、その力は十分に発揮されません。だからこそ、丁寧な挨拶から始めるのです。
授業を動かす「雑談力」という武器
挨拶には、休み時間から授業時間へと切り替える合図、という意味があります。お互いに声を出し、教室に一瞬の静寂が生まれる。その静寂が「これから学ぶ時間だ」という共通認識をつくります。授業は講師一人で行うものではなく、教室全体でつくるものです。挨拶は、その共同作業のスタートボタンのような役割を果たします。
そして授業の核心にあるのが「雑談力」です。私は授業の前や途中に、その時期に応じた受験アドバイスやニュースの話題を挟みます。受験直前ならメンタルの話、入試制度が変わるなら最新情報、世の中で話題になっている科学ニュースや社会問題。これらを授業内容と絡めて話すのです。
この雑談は単なる息抜きではありません。学習内容を記憶に定着させるための「補助線」です。抽象的で難解なテーマも、身近な出来事と結びつくことで、理解の足場ができます。例えば最新の科学ニュースと化学の単元を結びつける。歴史上の出来事と現代社会の動きを関連づける。生徒は「教科書の中の話」が「今、自分が生きている世界」とつながった瞬間に強く反応します。
旅行やスポーツの話題も効果的です。私は野球が好きなので、試合のエピソードを軽く織り交ぜることがあります。すると、生徒の表情が柔らぎ、教室に自然な一体感が生まれます。授業力はもちろん重要ですが、雑談には講師の人間性や経験がにじみ出ます。そこにこそ個性が表れるのです。
若手の先生から「面白い雑談をするにはどうすればよいですか」と相談を受けることがあります。しかし特別なテクニックがあるわけではありません。自分が見たこと、感じたこと、驚いたこと、うれしかったことを、まずは言語化すること。動画やSNSで得た情報でも構いません。ただし、それを自分の言葉で語れるレベルまで咀嚼することが必要です。
生徒は敏感です。借り物の言葉か、自分の体験から出た言葉かは、すぐに見抜かれます。だからこそ、講師自身が学び続け、体験を積み重ねることが欠かせません。
教壇に立つ以上、講師もまた学ぶ側の人間であるべきです。知識を増やすだけでなく、経験を重ね、それを言葉にし、伝える力を磨く。その積み重ねこそが、予備校講師の「幅」を本当の意味で広げていくのだと、私は考えています。
