1980年に本格的に塾業界に足を踏み入れて実に40年以上になる。大学卒業後、学習塾に就職した私は、子ども達との関わりを楽しみつつ、それなりに満足していた。
そうしてまもなく、塾内誌の企画編集にも関わるようになった。
そもそも私は、上智大学在学中から地方の業界誌で取材しつつ、内心は執筆が性に合っていると思っていた。だからこの話は朗報だった。
その後、転職などを経て、「教育ジャーナリスト」として独立に至るのだが、これは、ある意味必然だったかもしれない。このとき、私の人生のテーマは、「執筆すること」、「塾業界に関わること」の2つの軸に定まった。
塾業界への関わりを更に深めたのは『月刊私塾界』の専属記者になってから。
当時、(私塾界の)社長だった山田雄司氏(故人)の片腕となって全国の塾を駆けずり回り、16年間で取材先での名刺交換は約5000枚に至った。さらに、いつでも連絡可能な塾長や塾幹部は約500人いる。ここでの、数多くの塾長との出会いは、今では私の大きな財産だ。
「大切な人の死」がきっかけ業界新聞を立ち上げ
記者をしつつ実現したのが、朝日新聞社と共著で私の処女作となる『天声人語の文章要約トレーニング』(TAC出版)の出版だ。さらに、「日経BP社」「ダイヤモンド社」、「読売新聞社」など大手一般雑誌の仕事も順調に増えていった。
仕事が上向く中で転機となったのは、忘れもしない2010年7月19日。かけがえのない兄貴のような存在だった前述の山田氏の死である。
大きな喪失感とともに、私の中で、山田氏の存在感の大きさを発見するきっかけにもなった。自らを鼓舞し、新たなチャレンジに踏み出した。
それが、『塾新聞』(産学社)の立ち上げだ。学習塾という業界を、もっと世間一般に開かれたものにすべく、出版社の産学社と共に旗揚げした。
その後、紆余曲折を経て「令和の虎」で有名な岩井良明氏が代表をするモノリスジャパンへ経営移譲、『私教育新聞』(モノリスジャパン)と改称して今に至る。
その他、日本棋院囲碁指導員・学生囲碁指導員の資格を活かして、藤嶺学園藤沢中学校の囲碁講座の外部講師や、学びエイドの鉄人講師、 「ユーチーバー」の名称でユーチューブをスタートさせたりと、チャレンジを重ねてきた。
私のモットーは「生涯現役」だ。人生の最後まで取材・執筆し続けたいと思っている。
私がそもそも『ルートマップマガジン』に参画したのは、塾業界と学校をつなぐために役立とうと思ったから。私のこれまでの経験知を活かせればこれに勝る喜びはない。
前置きが長くなったが、記念すべき第1回は、大きく3つの視点で話を進めていこうと思う。
まず、新型コロナ感染による市場の変化を述べたい。
3年前からはじまった新型コロナの感染拡大で、塾業界は、行政の指導、長期休業、感染防止対策の実施などにより、売上が大きく減少した。
対面指導からリモート指導を余儀なくされ、月謝は3〜4割減。その上、塾内部のシステムや、授業のリモート化への設備投資もかさんだ。
今後、業界として悩ましいことは、コロナでリモート設備投資をしたものの、顧客の9割は対面希望。対面にすべきか、リモートを併用したハイブリットモデルにするのか、選択を迫られている。
対面とリモートで塾は新業態へ
新型コロナ感染の広がりによって、20年以降、リモート化とともに塾のコンテンツのデジタル化が急速に加速。新業態に移行しつつある。
とりわけ注目されているのは、「ChatGPT」の活用や、メタバース空間での指導である。
対面指導やハイブリッドモデルにこうした技術をいかに組み込むかが今後の焦点になるだろう。
もともと、従来型の映像授業は頭打ちだった。過去の歴史を見ると、疫病など社会的な脅威がきっかけで、技術革新が急速に進むのは歴史上何度も繰り返されてきた。今回もまさにそれだ。
最後は、学習塾業界の人材不足問題に触れたい。
塾業界で多数を占めるアルバイトには、準備や報告などの雑用が多く、敬遠する学生が近年増え始めている。
たとえ、アルバイト採用がうまく行かなくても、タブレットやロボット、それにデジタルコンテンツなどを積極的に活用することで、少数の講師でも多くの生徒を指導可能なシステムが注目されつつある。
学習塾は利益率が8割前後と、「コスパ」が極めて高い時代があったのは過去の話。業界で花形といわれる家庭教師派遣や予備校でさえも、近年は生徒数を減らしており、新たな業態を模索する動きが出始めている。
特に、医学部受験コースの新設や、予備校による映像授業の他塾への販売、さらに、全面的なオンライン指導への大きなシフトも今後相次ぎそうだ。
不安も山積だが、塾業界の今後の進化に期待したい。