2025.3.8講談社『週刊現代』2025年3月8日号『「SNS」でゆがむ世界』に弊社取締役の西田がコメント提供しました。
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政策ジャーナリストが読み解く
大学と政治」のリアル

2025年7月の参議院議員選挙直後、日本維新の会が中心となり「副首都構想」が国政の政策課題として取り上げられたことが話題だ。副首都構想とは、首都である東京が大災害などに見舞われた際、臨時で首都機能を担う代替場所に行政機能を移す構想である。

その気になる選定場所や、どの程度の代替機能移転なのか、現時点で不明点が多く、これを疑問視する政界関係者も多い。

よって、仮に副首都が選定されたとしても、当該地域へは東京より多数の官公庁や関係企業団体の職員や家族が赴任、移住することが予想される。勿論、当該地域に新たな都市建設や再開発、教育機関の新設整備といった膨大な費用問題も出てくるだろう。

さて、関連して今回、1990年代から2000年にかけて議論された「首都機能移転論」と那須大学(現・宇都宮共和大学)について取り上げたい。

「首都機能移転論」の話が出始めた当時は、80年後期から90年初頭のバブル景気による東京の地価高騰が社会問題化していた。それによる「東京一極集中」を是正する目的が発端である。

本格的に現実味を帯びてきたのが90年衆参両院にて「国会等の移転に関する決議」からである。92年に「国会等の移転に関する法律」が早速、成立した。以後、「国会等の移転に関する法律」に基づいて設置された国会等移転審議会により候補地の選定などが行われていく。

ようやく99年12月には具体的な「移転先候補地」が選定され、「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」「三重・畿央地域」の三地域が移転有力先として絞り込まれる。とりわけ審議会の答申では大規模災害が少なく、東京からのアクセスのよさという点で「栃木・福島地域(栃木県那須地域)」最有力となり、ここでは、招致運動が熱を帯びることになった。

さて、行政機能の移転先で、大学など高等教育機関があることは、重要な要件だろう。ところが那須地域には当時大学が存在せず、招致運動以前から那須地域の課題となっていた。

当時の状況、課題を知る手掛かりとして、筆者は「宇都宮共和大学20周年記念誌」で須賀淳初代那須大学学長による重要な証言を発見した。

当時の須賀学長の重要な証言を発見

「当時、栃木県内の高校生は首都圏が近いこともあって、県内の大学に進学する割合が全国平均に比べ大変低く、県北には人文科学系の大学がありませんでした」と発言。さらに、

「1992年には国会等移転の法律が成立し、国の審議会により「栃木・福島」がその候補地になりました。これを受けて、県、地方公共団体、経済団体から学園に県北地域での大学設置の要望が寄せられました。こうした経緯から、旧黒磯市(現・那須塩原市)に日本初の都市経済学部を有する大学を開学したのです」と記載されている。

このように地元からの要請を受けると同時に、那須地域に首都機能移転が行われることを見越して、99年4月那須大学は開学したという背景があったのだ。

そんな中、なんと02年7月に長年大学関係者を悩ませていた、東京都心部への大学の新設・増設などを制限していた「工場等制限法」が廃止される。規制緩和による東京の都市再生、大学の都心回帰へと政府は方針を転換していった。

03年には、衆参両院の「国会等の移転に関する特別委員会」にて、「移転は必要だが、三候補地の中でどの候補地が最適なのか、絞り込めない」という中間報告に落ちつく。以後、首都機能移転論は下火となり、事実上凍結。

最悪の状況に置かれた那須大学は、どうなったのか。04年の大学基準協会「那須大学に対する加盟判定審査結果ならびに認証評価結果」には詳細に記されていた。

見捨てられた那須大はどうなったか

「教職員が一体となって熱心に学生指導に当たり、専任教員1人あたりの学生数が少ないことを活かしてきめ細かい学生指導を行っている点、講座・講演会を通じて社会貢献に熱心である点、奨学金制度が充実している点など、評価できる点が認められる」とされる一方、「収容定員に対する在籍学生数比率が著しく低いこと、そのために消費収支が大学部門として経年的に支出超過となっており、今のままでは学校法人全体の財政にも悪影響を及ぼしかねない」「開学当初は、学生の受け入れ方針に沿った受け入れが行なわれたが、その後の志願者数は激減している(中略)。このままの入学者の状況では、大学の理念を実現することは容易ではない」さらに、

「栃木県北部に大学をという地元の期待を受けて開学した貴大学であるが、その立地条件は十分な受験生を引きつけるには至らず」とされ、結果的に、大学基準協会正会員加盟審査にて判断保留と判定されてしまった。

当時、那須地域への首都機能移転が現実味を帯びていたとはいえ、政治の世界は時の内閣の方針や与野党の政権交代、有力政治家の死去などにより方針転換がなされる。そのような政治的リスクを考えず大学運営を行った結果、学校法人全体の財政悪化につながり、運営危機となった。

なるほど、那須大学は首都機能移転が頓挫した場合に備えた、予防救済策(26年4月開学予定、那須短期大学看護学科(仮称)入学予定定員40人と同様な、新幹線停車駅の那須塩原駅より徒歩10分にキャンパスの設置、補償金交付、入学者募集営業など)を県や地元自治体、企業等と大学開設前に話し合いが行われていれば、那須大学の運営状況は変わっていたと考えられる。

実は前述した「副首都構想」にもいえることだが、今後、副首都招致を行う新たな自治体が出る場合、筆者がアドバイスするとすれば、少しでも有利になるように当該地域への学校誘致を行う可能性が高い。その場合、まず学校法人として政治的リスクを踏まえ慎重な判断が求められる。その上で、招致落選や計画頓挫に備えた予防救済策を入念に行うことが望ましいだろう。

なお那須大学は06年、大学名を「宇都宮共和大学」に改称した。宇都宮市中心部に宇都宮シティキャンパスを新設し大学本部機能を那須より移転。現在はJR宇都宮駅から徒歩6分の便利な場所にあるキャンパス、他2つのキャンパスに2学部・2学科394人が学ぶ。大学自体の改革も進み、15年大学基準協会正会員加盟審査にて適合と判定された。宇都宮市は、北関東最大の中核市であり、23年にはJR宇都宮駅の東側に宇都宮ライトレールが開通した。今後、同大のある駅西側延伸も計画されており、同大キャンパスの目の前に駅ができるかもしれない。いずれにせよ、地方都市の中では、発展著しい都市の一つである。宇都宮の発展に寄与する高等教育機関として、宇都宮共和大学の今後に期待したいと筆者は願う。

政策ジャーナリスト
1981年生まれ。青森県出身。拓殖大学大学院地方政治行政研究科修士課程修了。学校法人新潟総合学園東京事務局職員、教育シンクタンク事務局、政党政策調査スタッフ等を経て現職。政治から大学政策や歴史的な経緯を語れるのが強み。共著として『経営学の主要人物がわかる本』(創成社)がある
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