識者、大学の研究者は、教育経済学、教育社会学、教育心理学など、いろいろなアプローチから、「教育」を語る。発表される資料も膨大だ。だが筆者はここであえて言おう。これからも塾という街の現場から「教育」を語り続けたい。なぜか。塾の教育に根源的でアプリオリな課題が見えるからだ。塾というと受験のためのノウハウを授けてくれる民間企業、というのが一般的なイメージであろう。これが普通の感覚。しかし人を育て、知識を授けるという教育の根幹にたちかえると、そこに別のなにかが見えないだろうか。
かつて鹿児島県に、その名を全国に轟かせた池田教育ゼミナールという塾があった。塾長の池田弘先生(2018年逝去)は、もと小学校で美術を教えていたが、1974年学校を辞め開塾、初年度23名の塾生のうち19名をラ・サールに合格させた。後毎年90名前後が同校に合格している。12年後塾には制約があり、指導にも限界があるということで、塾人としてはじめての学校、池田中学を開校、91年池田高校、95年池田小学校を誕生させた。
筆者は市内に残る塾舎を訪ね、何度も先生と酒を酌み交わしたことを思い出す。先生は次のように言っておられた。「学校の成績と人間性には深い関連があります。人間性を高めなければ学力も伸びない。つまり全人教育と英才教育は対立ではなく、一対なんです」と。そしてある時は学園内の理事長室で、次は教育者養成の大学をつくりたい、とも。池田学園の教育の柱、池田方式は二つ。「魂を揺さぶる教育」「自ら伸びていく子供」。どうしたら魂を揺さぶられるか。それには疑いを起こさせる、不思議がらせる、感動させる、の三つが有効だ。これは美術教師として、子どもたちの才能をいかに伸ばすかを工夫しているときに、自身が学んだという。そして子ども達にやさしさとたくましさ、その両方をもって欲しい。人生を力強く切り開いていくたくましさ、弱いものへの思いやり、いたわりをもつ、これが学力を高めるための土台でもある、という(参考 池田弘著『能力開発小学校』現代書林など)。
没後30年の司馬遼太郎は言っている。〈江戸時代の諸藩の教育制度の「多様性」が、明治の統一期の豊富さと活力を生んだ〉と。すぐに大阪の適塾や山口の松下村塾を思い浮かべられよう。かつて鹿児島で池田先生が礎をつくり、現在も当地で人気の学園は、いまの日本に欠けている教育の多様性を具現化している。そしてそのことが全国の塾仲間に大きな示唆を与えている。
