2025.12.9日本経済新聞社『日本経済新聞』に弊社取締役の西田がコメント提供しました
MENU

政策ジャーナリストが読み解く大学と政治」のリアル⑤
上智大学 求められる「個性」と「信念を貫く姿勢」

私立大学の雄、上智大学はなぜ、独自の個性を保ち続けてきたのか。その原点にあるのは、明治時代の首相・桂太郎氏との出会いと、大学紛争のさなかに泥を浴びながら学生と向き合った1人の理事長の存在があった。

上智大学(以下、上智大)は、東京都千代田区に本部を置き、9学部を擁する日本最古のカトリック系総合私立大学である。

明治から令和に至る上智大の歴史の中で、筆者が今日の上智大を形成したと考える出来事が二つある。本稿ではこの二つを取り上げたい。

1905年、ローマ教皇ピオ10世は、ウィリアム・オコンネル司教を親善使節として日本に派遣した。明治天皇宛ての親書を携えての来日である。

その直後、オコンネル司教は桂太郎首相と対面する機会を得た。両者は意気投合し、司教が離日するまでの約1カ月間、桂首相は「親切きわまる主人役」(『上智大学史資料集』第1集)を務めた。桂首相は、上智大創設に欠かせない日本側のキーマンとなっていく。

会合を重ねるうち、話題は日本でのカトリック大学の創設に及んだ。桂首相は創設に熱心な賛意を示す一方、教授陣や経営陣がフランス人ばかりにならないよう助言したとされる。

背景には、桂首相自身が台湾協会学校(現・拓殖大学。以下、拓大)や獨逸学協会学校(現・獨協大学)の創設・運営に関わっていたことがある。桂首相は政治家であると同時に、私立学校の創設に熱心な教育者でもあったのだ。

オコンネル司教は桂首相の助言を受け、大学創設は可能だと判断した。のちに、創設準備を担う財団法人上智学院が小石川区茗荷谷(現・文京区小日向)に設立される。

実は、拓大も茗荷谷で創設され、今も同地に文京キャンパスを構えている。桂首相との縁を契機に生まれ、ともに茗荷谷から第一歩を踏み出した上智大と拓大は、あまり知られていないが、いわば双子の兄弟校のような間柄なのだ。

一方はカトリックの教えに基づく国際教育を重視し、東西文化の交流と相互理解を育んできた。もう一方は興亜を掲げ、東洋世界を探求してきた。建学の理念は異なるが、両大学は110年以上の歴史を持つ老舗の国際大学である。

建学の理念に根ざした明確な個性を持つがゆえに、両大学は「保守的」「独自色が強い」と評されることもある。しかし、桂首相をはじめ創設の先駆者たちは、100年先も存続できるよう、あえて他大学とは異なる個性を授けたのではないか。個性がなければ受験生や保護者の支持は得られず、大学が今日まで続くことはなかったはずだ。

上智大が今も続いているのは、カトリックを重んじるその個性が、受験生や保護者だけでなく日本社会全体に支持されてきた証しである。

泥を浴びても対話を続けた理事長

もう1人、忘れてはならない人物がいる。戦後、創設以来の個性を生かして上智大を確固たる地位に押し上げた「中興の祖」、ヨゼフ・ピタウ理事長である。

ピタウ氏は1928年イタリア生まれ。52年にイエズス会の神学生として来日し、栄光学園中学校・高等学校で教壇に立った後、ハーバード大学大学院で政治学の博士号を取得した。その後、歴代最年少の40歳で上智大理事長に就任し、全国に吹き荒れていた大学紛争に直面することになる。

対応方針が定まらない他大学とは一線を画し、ピタウ理事長は全責任を一身に負って、学内に籠城する過激派の排除を決断。警視庁に機動隊の出動を要請した。

これに対し、排除を阻止しようと数百人の全共闘学生がグラウンドに集結した。そこへピタウ理事長は単身で現れ、学生との直接対話に臨もうとした。学生側は対話を拒んだばかりか、理事長にグラウンドの泥を大量に投げつけた。それでも理事長はひるむことなく、泥まみれのまま学生たちに語りかけ続けた。

上智大の教育精神である「他者のために、他者とともに」を体現する姿に、学生たちは圧倒され、最終的には、学内から退散したという。

現場に居合わせた警察官僚の佐々淳行氏は、「『全人格教育』とよばれる教育のあるべき姿をみた思いがした。」「いにしえの殉教者たちもかくやとばかり、まさに『ソフィア』叡智の具現者だった。」(佐々淳行『軍師・佐々淳行』文藝春秋)と、その姿勢を称賛している。

佐々氏によれば、当時は事態収拾に及び腰な大学経営陣も少なくなかった。同書には「紛争中、諸大学の教授たちの臆病ぶりは本当に目を蔽わんばかりの惨めさだった。不作為、逃避、過激派への阿諛迎合、身勝手、責任転嫁。」「学生たちからも軽蔑されていて、『象牙の塔』の権威は全く地に堕ちていた。」との記述もある。

過激派を擁護するつもりは毛頭ない。ただ、大学紛争の背景には、学生の育成や大学改革への当事者意識を欠いた一部の経営陣に対する学生の不満もあったのではないか。だからこそ、全責任を引き受けて信念を貫いたピタウ理事長の決断力が際立つのである。

その後、ピタウ理事長は上智大の教職員や学生から絶大な信任を得て、全国の大学に先駆けて学内の正常化を成し遂げた。大学のトップが全責任を負って信念を貫けば、不可能も可能になる。そのことを証明した出来事だった。

少子化で大学再編の議論が全国で進む昨今、伝統とカトリックの教えに照らして上智大がどんな将来像を描くのかは、他大学以上に注目される論点になるだろう。

また、上智大学短期大学部(神奈川県秦野市)は2025年度以降の学生募集を停止しており、秦野キャンパスの活用方針にも関心が集まる。

今、上智大に求められているのは、創設以来のカトリック大学としての個性を伸ばすことと、ピタウ理事長が体現したような、時流に流されず信念を貫く経営陣の決断力ではないか。創設以来の個性を柱に、ぶれずに歩み続けることを筆者は強く期待したい。

政策ジャーナリスト
1981年生まれ。青森県出身。拓殖大学大学院地方政治行政研究科修士課程修了。学校法人新潟総合学園東京事務局職員、教育シンクタンク事務局、政党政策調査スタッフ等を経て現職。政治から大学政策や歴史的な経緯を語れるのが強み。共著として『経営学の主要人物がわかる本』(創成社)がある
2026 7/1
特集記事

82大学医学部 「御三家」激変マップ

慶應義塾大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学――。長年「御三家」と呼ばれてきた医学部だが、その構図に変化の兆しが見え始めている。全国133…

特集記事

SPECIAL
SPECIAL
SPECIAL
SPECIAL
タイトルとURLをコピーしました