著者は長年学習塾業界に携わり、全国の多くの塾長へのインタビューから、その教育哲学に感化されてきた。ここでは、彼ら塾長や、あまたの教育改革者たちの発言を紹介。ひとりひとりの、学びの先の進路に思いを馳せたい。
島本時習塾を語るとき、どうしてもはずせないのが臨海学校。初代龍太郎塾長は明治・大正時代にとてもユニークな臨海学校を創設、二代目正塾長は大戦後後をつぎ、「自律」「勤労」「友愛」の三大精神を掲げ、集団生活を通じてその実現に努力を重ねようとした。
まる一ヶ月間寝食を共にし、「人間」を学ぶ。事故らしい事故もなく、なんと74年もつづけられたこと、今考えると驚異的である。教える子たちを幹部とし、一夏中子どもたちと海で暮らす。参加塾生数は40〜50名、多い時で100名だ。学習は午前中一時間半のみ、あとは連日5〜6時間の水泳、まさに野性的な少年、少女をつくった。当然卒塾生の愛塾精神は育まれ、社会人になってもその精神は深く根づいた。もちろん正塾長がいうように、長年続けられたのは、夏期学校の精神を学び、理解した多くの卒塾生・塾友の協力があったからだ。しかしそれも進学競争の激化で途絶えてしまった。
時代錯誤とかたづけられよう。事実平成14年に閉塾しているのはある意味当然の帰結かもしれない。だが、この塾が東京の下町の浅草で約90年も愛されたのはなぜだろう。最後に三つの要因を掲げておきたい。
①下町っ子達の鍛錬の場としての小規模な「私塾」であったこと。
②夏期臨海学校が象徴するように、人間教育にこだわったこと。
③受験至上主義のマンモス塾を指向せず、拡大路線から一線を画したこと。
最近TVで小規模塾の教室が紹介されていた。塾生の指導はすべてPC上にあるAI。教室内に講師の姿はなく、少女が一人静かに画像を見ている。そこでは確実に一対一の人間的涵養の教育は放棄されている。―悄然としてしまった。OECDシュライヒャー教育・スキル局長は「分かりきった答えを教える授業では、生徒は二流のロボットにしかなれない」と語ったそうである(毎日新聞2024年2月18日)。
人間はこれからAIが代替できない分野で力を発揮し、正解のない問題に力を合わせて対処することが求められている。すなわち創造性や協調性など、人間ならではの能力で、これを非認知能力という。塾生の学びに向かう人間力は一体誰が、どう育んでゆくのか。少くともかつて島本時習塾では、その学びに向かう人間力は、いかんなく鍛えられていたはずだ。